椎葉家の母、生きる力
半年ぶりに義母(95歳)と宮崎日向市の施設で面会出来ました。
「母ちゃんこの人わかるげな??」
義妹が言うと「か…か…な…こさん」
嫁である私の名前を忘れないでいてくれました。
私達は、義妹からの知らせで会うのは、もうこれが最期かもしれない!!
覚悟を決めていました。
義母は、なんと、言葉は不自由になっていましたが、私達の想像を越えるほど意識はしっかりしていました。
義母は何代も続く椎葉家に生まれ、椎葉村尾八重小学校の給食のおばちやんとして長きに渡りお勤めさせて頂きました。お料理が得意で、陽気に生き生きとした人でした。
色白で丸顔で若い頃は美人だったようです。
義妹が、「母ちゃんはいつもかなこさん忘れたらバチがあたるげなって言うでいたよ」
嫁として尽くし足りないのに、感謝で思わず涙が溢れました~