夫婦で歩んできた人生
和歌山のFBフレンドと、旦那さんの悪口言う人嫌いですねー
私もそんな人は信用出来ないわ~こんなお話を致しました。
でも、これは悪口ではありません。
皆んなが爆笑する、事実です。
事業家として、独立した頃の主人は、大変気が小さく側に私がいなければ何もできない人でした。
ある時、ヤクザがやって来ました。
座り込むこと半日、一番先に逃げていくのは主人でした
私が、弁護士に話を聞いてもらって何とかその場だけは、凌ぐことが出来ましたー
また、結婚して3日目から、マージャン、パチンコ、競馬、釣ならまだマシです。
結婚して、暫くして、儀妹さんから、手紙が届きました。
私は、衝撃を受けました。
「かな子さん、兄を頼みます、兄は、中学生の頃父に叩かれ声が出なくなりました。
兄を幸せにしてあげて、そして兄と会社を成功させてね。」
幸せにしてもらいたいのは、こちらの方だと言うのに!!
私は、和歌山で両親に不自由なく、可愛がられて育てられました
辛い過去を何ひとつ見せずに明るく、面白く、忍耐強く歩く主人
その後、主人がしたいように何でも許してあげました。
女こそ手を出さない変わりに、まるで子どものように遊び回りました。
私は、主人が事業家になりたい夢を叶えるために、経営のビジョンを仕上げました。
ガツガツしない人間らしい主人と、郷土愛が経営のビジョンになりました。
子供には、参観日に、出られずに、大人になってからも、恨まれました。
私は決まってこう言いました。
「お母さんは、、お父さんひとすじや、これが私のお母さんやと、母さん死んでも胸張って歩いてええ」
子供は、何時までも、子供です。
5年前、癌になったその夜始めて主人の前で泣きました。
あんたは、私に甘えてばかり~
私はどれほどのストレスを溜めて働いてきたの。
私が死んだら貴方はやってゆけるの!!
思えば、子どもを可愛がり、和歌山の両親を自分の親のように接してくれる主人。
その後主人は、主夫となり家事全般をしてくれ、仮にヤクザが来たとしたら、自ら警察などに対処出来る勇敢な主人となりました。
歌の文句じゃないけど、あんた遊びなはれ、飲みなはれ!!
男の人は大切です。
表札です。実家の母に教えてもらいました。