明朗愛和は創業の心
昨日のお休みは、京都の経営者である友人と、会食をしました。
こんなときも、経営者の本音を、聞いてもらうことが、しばしばあります。
中小企業の経営者というのは、個人事業主とほぼ変わらないものです。
いつも、業者として話題に上るのは、お給料支払いが終わると、「ほっとするね」
47年事業を継続している私の会社ですら、「支払い」に関しては、気を休めることは
一時すらありません。
ところで、事業を始めて47年目になりますが、50年近くやっている会社は、全体の数パーセントしか存在
しないそうです。
私も、こんなに、長くできるとは、よもや思っていませんでした。
今から、十年ほど前、稲盛さんの「成和塾」の塾生がこういいました。
「椎葉さん、椎葉さんの創業の心は何?」
「私は、主人が商売が好きで、おまけにお金のない人だったし、無我夢中で
働いてきたので、創業の心なんて考えたことないわ」
創業の心とはいったいなんだったんだ?自問自答してみました。
枚方に住む方が、私を若いときから見てこのように、言ってくれています。
「あんた、だんなさんを立て、ほんまにようがんばってきたなあ。
だんなさんも、明るいし。みんな、ついてくるのわかる気がするわ」
もしや、このお声こそ、地元で長く「信用」をいただいていることではないのか?
つまり、商いとは、飽きない心であること。
目の前の仕事を、こなすだけで精一杯、そんな苦難続きの日も、
挫けず負けじ魂でやってのけたら、いつの間にか、ここまでたどり着いたようです。
稲盛さんは、京セラを造ったとき、敬天愛人の御旗をかかげたといいます。
椎葉の心って、何だったといえば、やっぱり、日本語で語るとしましたら、
「明朗愛和」だと、思います。
人間いかなるときも、明るく笑って、前に進む。
社員やその家族までも「愛」と「和」をもって。
ふつうに考えて、あたりまえと思って、五十年近くやってきたことは、振り返って
見ますと、社風になっていたような気がいたします。
ついでと言っては、へんですが、「愛」と「和」とは、目に見えるものでは、ありません。
本当に大切なものは、目に見えません。
心で感じるものなのです。
働くことに感謝、職場の仲間に感謝、今日一日を最良の笑顔で過ごせますように。